日々

三十路の女の日々の記録。

2020/03/13

2020/03/13

(意味は色々あれど)いい人間になりたい、

(意味は色々あれど)良く生きたい、と常々思うのだけど、

いい人間になって良く生きてどうしたいのか?何になりたいのか?と突き詰めて考えた今、

『悩んでいる人の助けになりたい』とふと浮かんだ。

 

自分が悩んで苦しんでいる時、

話を聞いてくれたり、考え方を説いてくれたり、

歩き方を見せてくれた(本人たちにそのつもりはなくても)

そういう人たちのおかげで光が差した。

会って、その目を見て声を聞くだけで元気になれた。

会いに行ける人たち(会いに行けるアイドルか?)だけでなく、

本や、ネットの海で出会った文章に頭を殴られて目が覚めたこともある。

文字の羅列だけでなのに、何年も忘れられない言葉がある。

あの人たちが、あの言葉たちが、わたしを救ってくれたと言っても過言ではない。

 

救ってくれた、というとえらくドラマチックで痒くなるが、

悩んでもがいているときは本当に苦しい。

大人になっても悩みはなくなるわけではなく、

むしろレベルアップした課題がずっしり乗っかかってくる。

友人が、それぞれの年代のフェーズでちゃんと悩みがあるんだよと言っていた。

その通りだと思う。

死ぬまで勉強、死ぬまで修行。

この先も課題は降ってくるし、「生きるのしんどいわ」とため息をつく。

 

「救われた」といっても、

ただエーンと泣いて横たわっていたら

ふわっと抱きかかえられて気が付いたら救われていました!

という訳ではない。

エーン!と泣きつつ、自分の足で歩いてきたし、崖にしがみついて登ってきたという自負がある。

そういう時に、

足元の躓きそうな石をどかすんじゃなく、石があることを教えてくれたり、

崖の上から手を引っ張るんじゃなく、ロープを垂らしてくれた。

わたしが自分で頑張るところをちゃんと見ててくれて、その上で素晴らしいアシストをくれた。

人から助けてもらいながら歩くと、

一人で生きていないんだなとつくづく思う。それが嬉しい。

悩みを突破した先で見た景色が素晴らしいから明日もその先も生きてみよう、

これをもっと重ねたらもっとすごいことがあるのかな?と思える。

 

 

悩んで苦しんでる人を助けて感謝をされたい訳ではない。

そういう形で、わたしを求めてほしい訳ではない。

ただ、悩んだその先の景色は美しくて、

自分で歩いてきた分、力がついてるからまた先が楽しくなる、

それを知ってほしいだけ。

悩みの雲がさっと晴れた瞬間の光の気持ちよさがいつも素晴らしいから、

それを自分以外の人たちにも感じてほしいだけだ。